デパートに来た。
アウターを買うためだ。
私は上着のことを、最近アウターというように意識している。
上着と言うと、上に羽織る物のみを指すような感じがするが、アウターというと上半身を起点に纏う物全てを指すような気がして便利だと思う。
私は上半身に着るものは全て上着だと信じていたが、最近コート類などの布地が太腿付近までくるものに対して「上〜中着」だなと感じるようになってきていた。
こんなことは、いままでコートなどを羽織ろうとしなかったから思いもしなかった。この世には私の想像を超える服飾がある。
さて
10月も半ばを過ぎ、ただでさえ辛い辛い朝起きる行為が地獄の責め苦に感じられるほど気温が下がってきた。私は朝7時に自分がかけていながらもやはりうっとうしいアラームで目が覚めて「ほなほなよいしょ」とベッドから出ようとする。しかし、どうも寝ている間に近くのホームセンターで購入した毛玉だらけの毛布が私のスネからヘソにかけて根を下ろし、私と一生を共に過ごそうとするのだった。
毛布を体から引っぺがそうとするのは苦痛で、私はとにかく「なぜ昨夜もパンツ一丁で寝てしまったのだろう」とさめざめ泣きながら後悔し、やむを得ず二度寝を敢行する。
やがて8時に起き、「おや始業の時間ですね。」と泣きながら歯を磨き、のどちんこまで掃除をして、一口サイズのゲロを吐いて、これまた毛玉だらけのスーツを羽織って冷房の効いた灰色の町中へカマキリ色の自転車と共に駆り出すのだった。
何を伝えたいのかというと、ほんっっとここ最近寒すぎる。
私の記憶が正しければ、今年は秋がない年らしい。
夏半ばで「こいつぁマズい」と思い購入した300円のTシャツたちも、泣いている。
このTシャツたちの弔い合戦をしなければと無理してTシャツで街を繰り出すも、私の鼻からは金色の粘液が飛び出し、2日寝込んだ。
人間は気温ごとにあるべき姿に戻る必要がある。そう痛感した26の秋、兼、冬であった。毎年同じことをしている。
話しは戻るが、デパートに来た。
いわずもがな、私もあるべき姿に戻るため、袖の長い長~い服を購入するのだ。
私はなにも芯がなく、かといってそれを表沙汰に出来るような強い人間ではないため、南国の魚類、あるいは羽虫のようなシャツを好んで着ている。ようは柄の強いシャツだ。初めからこういえばいいのに、洒落たことを言おうとするから私は友人が少ない。たすけて。
デパートに柄の強いシャツを買いに来たのです、私は。
ちゃんと服を買おうとするのが久しぶりなのでショップの前をうろうろすること3週。
意を決していかにも暖かそうな真っ赤な柄のシャツを手に取る。
はぁ、格好いいな。私もこうありたい。この柄の様に強い人間になりたい。とうっとりした。サイズもよさそうだ。値札をひっくり返す。
¥24,000-
ぶち殺すぞ。
布切れ風情が。ふざけるな。
半年生きれるだろ2万も払ったら。
なめてんのか。
初老の店員が私の方へ近づこうとするのを、もちまえのピボットターンで避け、命からがらデパートの外まで逃げ切った。
あの布地はなんだったのだろう。
遠くジパングの黄金だったのだろうか。
私は、服すら満足に変えない存在なのだろうか。
許せない。私はデパートを許せない。
2万円以上するシャツでどう、この冬を乗り越えろっていうのか。
こたつ背負って生きてやろうか。これが増税の影響なのか。
私は裸足で帰り、300円で購入したTシャツを手に取った。
きっと、いつかお前が成長して長袖になるのを、私は待つしかないのだ。
それまで精いっぱい愛情を注いでやるからな。
300円のTシャツはすこし、微笑んだように見えた。
今週末は海を見せてやるからな、半そでTシャツ。
きっと、最高の思い出になる。
いろんなものを吸収していつか立派なダウンジャケットになってほしい。