おかゆ。
なんだそれは、といつも思う。
だれだ君は、どこ由来のものだ。
私個人として、おかゆは、「米を過剰に茹でてドロドロにしたもの」だと認識している。
また、「病人の食べ物=おかゆ」
という方程式も組み込まれている。
しかし私は生まれてから病気になった時におかゆを口にしたことなど全くない。病気の時はアクエリアスがぶがぶ飲んだり、なんとなく食べたいものを少量口にする程度でいいのではないだろうか。おかゆなんて、お米を炊くだけでなくドロドロにしないといけない点もあって、病人に迅速に提供するにあたって面倒くさいだけの食べ物なのではないだろうか。消化にいいからだとは頭で理解しているけれど、目の前にドロドロのお米が出てきたら逆に体調が悪くなりそうだ。
そもそも、おかゆがおいしいはずがないのだ。
塩なり、梅干しなりで味付けはするにしても、結局はドロドロのでんぷん糊なのではないかと、食べたことのない私は感じてしまう。固めに炊いたお米を韓国のりに巻いて食べたい。
どうせ、メチャァ、ヌチャァ、と口の中で咀嚼されもせずただただ米の甘みをダイレクトに伝えてくるのだと思う。かなり押しつけがましい。お米も適性の水分量を守ってもらいたいのではないかと思う。
そんなアンチおかゆの私であるが、今日、極めて少ない人種である「おかゆ好きな人」から「中華がゆ」という美味しいおかゆがあるという情報を耳にした。まだ食べたことはない。
中華丼、ひやし中華など、【中華】と名の付く料理は軒並み美味い。
だが、「中華がゆ」はどうだ。
中華という言葉を冠する食物は美味い。
おかゆは美味しくない。
そんな私の固定概念を揺さぶろうとする一石だ。中華がゆ。
一説によるとホタテの出汁とかを使って、米を過剰に茹でるらしい。
それはもはやスープにお米を入れただけなのではないかという疑問が一瞬よぎったが、米がドロドロになるのであればおかゆなのだろう。
おかゆ。
齢26となる私の常識を今、覆そうとしている存在である。
お米やお湯は身近にあったのに、それが合わさっておかゆとなると全く知らない存在となる。
知っている二人(お米とお湯)が出会ったことでかなりよそよそしくなってしまう。
お湯、お米はそれぞれ個別に仲良くしてもらっているが3人で会うとなると気まずい。
そんな感じに近いのだろうか。
なんにせよ私は今、こんな固定概念にまみれた自分を変えていろんな人に対して優しい人間になりたいと思う今日この頃であるので、近いうちに中華がゆを食べてみようと思う。
そして知らないことに対してちゃんと真摯に向き合おうと考えている自分をすこし誇らしげに思う今日この頃なのだ。