最近はかなり友達と遊んでいる。
五反田でお酒をしこたま飲んだり、横須賀へ日帰り旅行したりとかなり充実している。
充分実っていると書いて、充実だ。
だが、遊んでいるときにふと
「あれ…俺、何者でもないね…。」と感じる。
最近の私の何もしなさはすごいのだ。
日がな朝起きて、毒にも薬にも教養にもならない仕事を6割くらいの力でやりながらコメダ珈琲で時間を潰し、定時で猛スピードで帰り、コンビニで買ったフライドチキンをちまちま食べながらハイボールを2リットルほど飲んで泥のように寝ているのだ。
そこに生産的な要素は一切なく、私の歩く道は平たんで、二酸化炭素を吐き出す雑草が無限に広がる草原が広がっている。実りも何もない。
如何せん、自分の周りの友人は尊敬できる方が多いのだ。
歳も若く、しっかりとやりたい事が定まっている人
仕事とプライベート、線引きがはっきりしている人
遊びに命を燃やす人
好きなものが明確な人
起業の為に勉強し、仕事を辞めた人
都内に実家がある人
都内に駐車場を経営している人
実家が不動産を営んでいる人
全てが輝いて見える。
彼らごしに映る私はひどくくすんで見えた。くすむくらいならまだいい。半透明だ。
私は日々の中でいつしか質量を失い、目標を失い、ただ目の前に広がる細長い道をなんとも思わずぷらぷら歩いているのだ。
私はいつか自分が何者かになれるものだと信じて生きてきた。
しかし、今のところ、私はがらんどうの男であり、意志などないように見える。
私は周りの人間の心に触れるたびに、かつて抱いていた万能感の片鱗をフラッシュバックし、吐き気を催してしまう。
私は、ゼロになってしまった。脳みそは消しゴム大になっている。
しかし、私が所属している会社の福利厚生はいい。
福利厚生がいいのだ。
人は、福利厚生には従わざるを得ないのだ。
私は必要以上に家賃を払いたくないのだ。
私は保険を自ら払いたくないのだ。
福利厚生に身を任せたいのだ。
私は自分自身の行く末を自分で決定したくないのだ。
自分は自分。そんな言葉があるが、申し訳ないが自分に限っては福利厚生に活かされている肉人形なのだ。
福利厚生によって生かされ、福利厚生の為に生きる、肉人形なのだ。
福利厚生がある限り私は感情を持つことが許されない。
私は福利厚生の下僕なのだ。
家賃を、払いたくないのだ。
ましてや、通勤費なんて、決して、払いたくないのだ。
福利厚生にすべてを任せたいのだ。
私は福利厚生の為に人生を失い、福利厚生のための人生を歩むことを選んだ。
人によっては敗者に見えるだろう。あざけるがいい、笑うがいい、憐れむがいい。
だが私は圧倒的な福利厚生に庇護されている存在なのだ。
私はこの福利厚生がある限り、この世のありとあらゆる不都合に背を向けてやる。
私は、今日も2リットルのハイボールを、明日も自我がないままでありますようにと祈りながら胃に流しこむのだ。