今日はライフハックです。
「人間」はどうなったら「人間」になるか。
私は幼少期からずっと「人間」にあこがれていた気がする。
しかし、私は、「人間」になるには、様々な要素が不足していると思う。
コミュケーション能力、不足。
タスク管理能力、不足。
モラル、不足。
諦めない心、不足。
人生には様々なタスクがある。
十分な人間生活を送れる収入。
幸せな家庭。
気の置けない友人。
充足した仕事。
しかし、それらのタスクは本来、必要だろうか?
生きていれば、人間じゃないか?
私には、上手な人生を送る力があまりにも足りない。
そこでおおよその「人生の目標的な部分」を捨ててみようと考えた。
私は親孝行もせず。
電撃が走り、身を焦がすような愛情もいらない。
友人と話し、笑いあう時間も求めない。
仕事は死ななければなんでもいい。
誰からも信頼されない。
寒ければ服を着て、暑ければ、服を脱ぐ。
性欲たぎればオナニーをし、人恋しくなれば公民館とかにいく。
連続的な幸福はあきらめた。
私は目先の欲だけ、あればいい。
人生のタスクを脱ぎ捨て、全ての指標を「生存」。その一手に叩き込むのだ。
隣の芝生は青い。
隣の隣の芝生はもっと青く、芝生なんかより空は青いし、ラピスラズリは今日も輝かんばかりに青い。
何も求めなくていいのだ。
何を求めても、私は充分に欲を満たすことはない。
常に60%あればいい。
じゃがりこはおいしい。60%がそれだ。
高級焼肉を食べて120%を知ってしまうと、高級ステーキを知りたくなってしまう。
目標の指針が「生存」だけになると、スッと肩の荷が下りた。
私は精一杯人間らしく、良い人生を送ろうとしなくていいのだ。
ただ生きて、ただただ生きて、そのうちコテン、と死んでしまう。
それだけでいい。それが人生の大筋だ。
僕の人生に「恋愛」・「仕事」・「友人」のオプションはいらない。
最初からチュートリアルモードで初めて、たまたま初期装備のまま、ここまで生きてきてしまっただけだ。
それなら、それなりに初期装備で適当にやっていって、良きところでGAME OVERすればいいのだ。
私の人生は平たんな道がこれからも続き、輝いている。
無理に山を登ったり川を下ったり、激動の人生を歩もうとしなくていいのだ。
平たんな道は、本当にきれいだ。
生きているだけで、そこそこ楽しいのだから。
隣の芝生を見ずに、一心不乱にテクテクテクテク、死ぬまでの道を歩いていく。
それだけが、人生の重荷から逃げる術なのだ。
みんなで人間をあきらめて、てくてく歩こう!