しゅどんどんずんどこブログ

書いちゃうよ~!

パソコンが死にました。

ノートパソコンが死んだ

大学に入る前に4万くらいで購入し、約8年くらい使っていたVAIOが死んだ。

 

ブロック塀くらい重いVAIOだった。

ともすればデスクトップパソコンなのではと疑うほど、重たいノートパソコンだった。

心底重かった。

大学とかに持って行くときに肩掛け鞄に入れたらシンプルに筋肉痛になった。

あんな重いノートパソコン、私のVAIO以外にこの世にあるのだろうか。信じられないくらい重かった。

一度コタツで作業しているとき、喉が渇いたと立ち上がった際、充電コードに足を引っ掛けてノートパソコンが足に落下したことがある。

トムとジェリーでトムが痛い目にあったときの声が出た。自分にあんな野太い声が出せるとは思わなかった。

タツくらいの高度で落とされたにもかかわらず完全に足の甲の骨が折れた、ないしはひび割れたと思った。

一人暮らしの寂しさも相まって、ノートパソコンに足を砕かれた私の情けなさが頭の中を駆け巡って、泣いてしまった。

 

また、私のVAIOは充電が下手だった。

 

充電の周りが欠けてしまっており「生き返ってくれ…!」と念じながら充電コードを差し込み口に押し込み続けないと充電されなかった。

ここ2年くらいずっとそうだった。不便なんてもんじゃない。

そして完全にバッテリーがイカれているのでフル充電しても1時間くらいで8割くらい充電が無くなるのだ。

全くノートパソコンとして機能してなかった。

 

そんなVAIOだがとうとう死んだ。

死んだというか、元々死んでいたようなものを無理やり延命処置を行なってゾンビ状態で使用していた。

パソコンの8年は人間で言うところの140歳だ。

大往生。

 

今となってはただの鉄の板になってしまったが、本当に感謝している。標本を作ろうと思う。

 

クソ重たいVAIOで見た数々のDMM、ファンザ、X videos、は忘れない。今までどうもありがとう。

 

ぼくとアウター

デパートに来た。 

アウターを買うためだ。

 

私は上着のことを、最近アウターというように意識している。

上着と言うと、上に羽織る物のみを指すような感じがするが、アウターというと上半身を起点に纏う物全てを指すような気がして便利だと思う。

 

私は上半身に着るものは全て上着だと信じていたが、最近コート類などの布地が太腿付近までくるものに対して「上〜中着」だなと感じるようになってきていた。

 

こんなことは、いままでコートなどを羽織ろうとしなかったから思いもしなかった。この世には私の想像を超える服飾がある。

 

さて

10月も半ばを過ぎ、ただでさえ辛い辛い朝起きる行為が地獄の責め苦に感じられるほど気温が下がってきた。私は朝7時に自分がかけていながらもやはりうっとうしいアラームで目が覚めて「ほなほなよいしょ」とベッドから出ようとする。しかし、どうも寝ている間に近くのホームセンターで購入した毛玉だらけの毛布が私のスネからヘソにかけて根を下ろし、私と一生を共に過ごそうとするのだった。

毛布を体から引っぺがそうとするのは苦痛で、私はとにかく「なぜ昨夜もパンツ一丁で寝てしまったのだろう」とさめざめ泣きながら後悔し、やむを得ず二度寝を敢行する。

やがて8時に起き、「おや始業の時間ですね。」と泣きながら歯を磨き、のどちんこまで掃除をして、一口サイズのゲロを吐いて、これまた毛玉だらけのスーツを羽織って冷房の効いた灰色の町中へカマキリ色の自転車と共に駆り出すのだった。

 

何を伝えたいのかというと、ほんっっとここ最近寒すぎる。

私の記憶が正しければ、今年は秋がない年らしい。

 

夏半ばで「こいつぁマズい」と思い購入した300円のTシャツたちも、泣いている。

このTシャツたちの弔い合戦をしなければと無理してTシャツで街を繰り出すも、私の鼻からは金色の粘液が飛び出し、2日寝込んだ。

人間は気温ごとにあるべき姿に戻る必要がある。そう痛感した26の秋、兼、冬であった。毎年同じことをしている。

 

話しは戻るが、デパートに来た。

いわずもがな、私もあるべき姿に戻るため、袖の長い長~い服を購入するのだ。

私はなにも芯がなく、かといってそれを表沙汰に出来るような強い人間ではないため、南国の魚類、あるいは羽虫のようなシャツを好んで着ている。ようは柄の強いシャツだ。初めからこういえばいいのに、洒落たことを言おうとするから私は友人が少ない。たすけて。

 

デパートに柄の強いシャツを買いに来たのです、私は。

 

ちゃんと服を買おうとするのが久しぶりなのでショップの前をうろうろすること3週。

意を決していかにも暖かそうな真っ赤な柄のシャツを手に取る。

 

はぁ、格好いいな。私もこうありたい。この柄の様に強い人間になりたい。とうっとりした。サイズもよさそうだ。値札をひっくり返す。

 

¥24,000-

 

ぶち殺すぞ。

布切れ風情が。ふざけるな。

半年生きれるだろ2万も払ったら。

なめてんのか。

 

初老の店員が私の方へ近づこうとするのを、もちまえのピボットターンで避け、命からがらデパートの外まで逃げ切った。

 

あの布地はなんだったのだろう。

遠くジパングの黄金だったのだろうか。

私は、服すら満足に変えない存在なのだろうか。

許せない。私はデパートを許せない。

2万円以上するシャツでどう、この冬を乗り越えろっていうのか。

こたつ背負って生きてやろうか。これが増税の影響なのか。

 

私は裸足で帰り、300円で購入したTシャツを手に取った。

きっと、いつかお前が成長して長袖になるのを、私は待つしかないのだ。

それまで精いっぱい愛情を注いでやるからな。

300円のTシャツはすこし、微笑んだように見えた。

今週末は海を見せてやるからな、半そでTシャツ。

きっと、最高の思い出になる。

いろんなものを吸収していつか立派なダウンジャケットになってほしい。

わたしとおかゆ

おかゆ

なんだそれは、といつも思う。

だれだ君は、どこ由来のものだ。

 

私個人として、おかゆは、「米を過剰に茹でてドロドロにしたもの」だと認識している。

 

また、「病人の食べ物=おかゆ

という方程式も組み込まれている。

しかし私は生まれてから病気になった時におかゆを口にしたことなど全くない。病気の時はアクエリアスがぶがぶ飲んだり、なんとなく食べたいものを少量口にする程度でいいのではないだろうか。おかゆなんて、お米を炊くだけでなくドロドロにしないといけない点もあって、病人に迅速に提供するにあたって面倒くさいだけの食べ物なのではないだろうか。消化にいいからだとは頭で理解しているけれど、目の前にドロドロのお米が出てきたら逆に体調が悪くなりそうだ。

 

そもそも、おかゆがおいしいはずがないのだ。

塩なり、梅干しなりで味付けはするにしても、結局はドロドロのでんぷん糊なのではないかと、食べたことのない私は感じてしまう。固めに炊いたお米を韓国のりに巻いて食べたい。

 

どうせ、メチャァ、ヌチャァ、と口の中で咀嚼されもせずただただ米の甘みをダイレクトに伝えてくるのだと思う。かなり押しつけがましい。お米も適性の水分量を守ってもらいたいのではないかと思う。

 

そんなアンチおかゆの私であるが、今日、極めて少ない人種である「おかゆ好きな人」から「中華がゆ」という美味しいおかゆがあるという情報を耳にした。まだ食べたことはない。

 

中華丼、ひやし中華など、【中華】と名の付く料理は軒並み美味い。

だが、「中華がゆ」はどうだ。

 

中華という言葉を冠する食物は美味い。

おかゆは美味しくない。

そんな私の固定概念を揺さぶろうとする一石だ。中華がゆ。

 

一説によるとホタテの出汁とかを使って、米を過剰に茹でるらしい。

それはもはやスープにお米を入れただけなのではないかという疑問が一瞬よぎったが、米がドロドロになるのであればおかゆなのだろう。

 

おかゆ

齢26となる私の常識を今、覆そうとしている存在である。

お米やお湯は身近にあったのに、それが合わさっておかゆとなると全く知らない存在となる。

知っている二人(お米とお湯)が出会ったことでかなりよそよそしくなってしまう。

お湯、お米はそれぞれ個別に仲良くしてもらっているが3人で会うとなると気まずい。

そんな感じに近いのだろうか。

 

なんにせよ私は今、こんな固定概念にまみれた自分を変えていろんな人に対して優しい人間になりたいと思う今日この頃であるので、近いうちに中華がゆを食べてみようと思う。

 

そして知らないことに対してちゃんと真摯に向き合おうと考えている自分をすこし誇らしげに思う今日この頃なのだ。

成田ゆめ牧場のソフトクリームうますぎる。

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千葉県内でマザー牧場に思いっきり踏みつけられているローカル牧場「成田ゆめ牧場」に行った。正確には仕事で近くに寄っただけなので中に入っていないけど…。

 

でも牧場の前にあるこの「巨大にこにこ乳牛」を見るだけでも相当価値があるのではないだろうか。

めちゃくちゃかわいいじゃん。本当にかわいいな。なんだコレ。

 

成田ゆめ牧場は「酪農」がメインテーマであり乳牛がたくさんいるらしい。

牧場内に入っていないから定かではないが、千葉県内では各地で成田ゆめ牧場のソフトクリームが売っているから多分そうなんだと思う。

 

初めてゆめ牧場のソフトクリームを購入して食べた。

そしたらこれがまぁぁぁぁぁぁぁぁぁ美味しい。美味。

牛乳になる前の生乳で仕込んだソフトクリームらしい。口の中で弾ける程に濃厚だ。フレッシュかつダイナミック。青春時代の夏をまるごと口に含んだかのようななんとも活発でさわやかでエロスな味わい。

食べるではなく飲むに近い。

しつこさがまったくない。

そしてめちゃくちゃ溶けるのが早い。なんか、うまさの秘訣なのだろう。

 

とにかく美味かったので、これ目当てでも成田ゆめ牧場いっても損ではないかもしれない。

成田空港から車でちょいと行けばあるので、オススメです。

牧場内に入場した方は、どうだったかご一報ください。

 

韓国のりってちょっと罪だよね

今日は仕事でした。

仕事というか、決められた時間に死に物狂いで起きて

車運転して、電話が鳴るたびにコンビニに停車して、折り返してトラブルに巻き込まれるなどをするやつをやった。

仕事ほど頭を使わないし頻繁に停車しながら目的地までいくのでぜんぜん楽。

やりがいなんてものは入社式に置いてきた。

業務時間中にどれだけ睡眠がとれそうな時間を確保できるか。それだけに命を燃やしている。

 

なので昼休みは5分で食物を摂取し、ほぼ睡眠に充てている。

私のランチは糖質制限を行っていることもあり、サラダチキンや道の駅で買ったキュウリを丸かじりしている。私の車にはアジシオを常備しており、道の駅で買った生鮮食品をこそこそと公衆トイレの手洗い場などで洗っている。その後ろ姿は完全に妖怪である。妖怪・ランチ河童。こんな26歳になるとは思わなかった。

 

さていろんな人の怒号を持ち前の空っぽの脳みそでなんとか右耳から左耳へ受け流し、帰宅する。

パイパンになってないとおかしいだろって量の縮れ毛と、散乱したウイスキーの瓶と炭酸水にうんざりする。自分で散乱させといてなんだけどうんざりする。きっと一生部屋は片づけられないのでなんとか粗大ごみまで捨ててくれるルンバが開発されるまで耐えるしかない。テクノロジーでしか私の怠け癖を直すことはできない。

 

やはり糖質制限をしている為、夜ご飯も豆苗を炒めつけ、もさもさ食べている。

もさもさもさもさもさもさもさもさもさも食べているとパリパリしたものが食べたいなぁという気持ちになる。

 

そんな時に母が送ってくれた韓国土産の韓国のりがハイボールのお供として最適なのである。ヘルシーだし。

1パック、ノリそのままでパリパリ食べる。ゴマの風味と、しゃかりきパリパリの触感が美味しい。食欲がわく。

2パックに手を伸ばした時に「はて?これはお米に巻くとおいしいのではないか…?」と考える。

 

サトウのごはんをおもむろにチンしてみる。

ごはんを、ノリで巻く。口に運ぶ。

ハハァ~これは美味い。これはすごいことを発見しちゃったゾ。とエビス顔になる。

 

しかし、ハイボールに合わない。

私の身体は1日3リットルのハイボールを飲まないと寝れなくなってしまっているのだ。

なんとかハイボールを飲まなければいけないので、もう1パックサトウのごはんをチンし、生卵を落とし、卵かけごはんにしたものを韓国のりで巻く。

 

これはハイボールにも合う気がするし、なにより美味い!

いいことを発見してしまったと思い、ニコニコしながら完食。

 

その後、ベッドに横になり、ぐうぐうと眠る。

 

こうして私の糖質制限はここ半年全く意味を成しておらず

お腹周りには子供用の浮き輪くらいの脂肪がぷかぷかと浮き続けている。

 

私は、韓国のりを絶対に許さない。

三重県・答志島にある「トロさわらの炙り寿司」が美味いなんてもんじゃなかった

しゅどんどんです。

 

 

 

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最近すべてを捨て去って三重県鳥羽市から船で行ける離島「答志島」へ遊びに行きました。

わりとでかく人も住んでいる島で、民宿もたくさんあり、ビーチなどもある観光しやすい島でした。

私もハシャぎにハシャいで、海で両足を攣って死にかけたり、坂道で両足を攣って死にかける等、主に下半身を犠牲にしながら遊んでいました。マジで死ぬので皆さんは気を付けてくださいね。

 

さて、夜は島のお寿司屋さんで食事を取ったのですが、そこで食べた「トロさわらの炙り寿司」を早速ご覧ください。

 

 

 

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あ~。

 

もう一回見ます?

 

 

 

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ああ~~~。

 

美味しそうでしょ、もう。

美味しいのよ、もう。

品種としては「サワラ」という西京焼きや焼き魚で人気の魚。

答志島の近海でとれるサワラはエサが豊富な伊勢湾でどっぷり太ったイワシを食べまくっている為、非常に脂が乗っており、めちゃくちゃ身の状態が良いらしいのです。

その中でも脂の含有量が規定を超えたサワラを「トロさわら」としてブランド化し売り出しているそう。

 

味はというと、もう美味いのなんの。

「トロさわらの炙り寿司」は脂が乗っている為、オススメの食べ方であるワサビと塩で頂きました。

 

口に入れた瞬間「えらいこっちゃ!?!?」という思いと同時に研ぎ澄まされたうまみの槍が脳天を突き刺しました。美味ジャベリンです。(?)

あまりの美味さに言語野が破壊され、持ってた語彙の90%を失いました。店で「うまッ…うまッ…」としか言葉にしていませんでした。

 

中トロか!?と思うくらい脂ノリノリですが、クセがなく上品な味わい。

身が柔らかいため、噛み締めるごとに身がほろほろと崩れていくのが何とも言えない。

私はこの身の柔らかさがとにかく気に入りました。マットレスにしたい…。

 

力強い味なのに優しい舌ざわりが私の心をつかんで離さない。

存在を知ってしまったらもう食べるしかないんだ、これは。

私は島から帰ってからも、ふとあの味わいがフラッシュバックし答志島行きの船に乗り込んでしまいたい衝動に駆られます。人からすべてを捨て去らせる魅力がある、悪女だ、トロさわらめ…。

もはや、呪いです。

半年に一度は答志島へ行き、トロさわらを食さなきゃ死んじゃう呪い。

 

なにはともあれ食べに行ってください。

それしかないから。私と同じ呪いにかかってください。

 

 

 

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あとシンプルにお寿司屋さん自体がめちゃくちゃ美味かった&異常なコスパでした。

要チェキ↓

まるみつ寿司 - 鳥羽/寿司 [食べログ]

 

ここ最近の事と私の自意識

最近はかなり友達と遊んでいる。

五反田でお酒をしこたま飲んだり、横須賀へ日帰り旅行したりとかなり充実している。

 

 

充分実っていると書いて、充実だ。

 

 

 

だが、遊んでいるときにふと

「あれ…俺、何者でもないね…。」と感じる。

 

最近の私の何もしなさはすごいのだ。

日がな朝起きて、毒にも薬にも教養にもならない仕事を6割くらいの力でやりながらコメダ珈琲で時間を潰し、定時で猛スピードで帰り、コンビニで買ったフライドチキンをちまちま食べながらハイボールを2リットルほど飲んで泥のように寝ているのだ。

そこに生産的な要素は一切なく、私の歩く道は平たんで、二酸化炭素を吐き出す雑草が無限に広がる草原が広がっている。実りも何もない。

 

如何せん、自分の周りの友人は尊敬できる方が多いのだ。

歳も若く、しっかりとやりたい事が定まっている人

仕事とプライベート、線引きがはっきりしている人

遊びに命を燃やす人

好きなものが明確な人

起業の為に勉強し、仕事を辞めた人

都内に実家がある人

都内に駐車場を経営している人

実家が不動産を営んでいる人

 

全てが輝いて見える。

彼らごしに映る私はひどくくすんで見えた。くすむくらいならまだいい。半透明だ。

私は日々の中でいつしか質量を失い、目標を失い、ただ目の前に広がる細長い道をなんとも思わずぷらぷら歩いているのだ。

私はいつか自分が何者かになれるものだと信じて生きてきた。

しかし、今のところ、私はがらんどうの男であり、意志などないように見える。

私は周りの人間の心に触れるたびに、かつて抱いていた万能感の片鱗をフラッシュバックし、吐き気を催してしまう。

私は、ゼロになってしまった。脳みそは消しゴム大になっている。

 

 

 

しかし、私が所属している会社の福利厚生はいい。

福利厚生がいいのだ。

人は、福利厚生には従わざるを得ないのだ。

私は必要以上に家賃を払いたくないのだ。

私は保険を自ら払いたくないのだ。

福利厚生に身を任せたいのだ。

私は自分自身の行く末を自分で決定したくないのだ。

自分は自分。そんな言葉があるが、申し訳ないが自分に限っては福利厚生に活かされている肉人形なのだ。

福利厚生によって生かされ、福利厚生の為に生きる、肉人形なのだ。

福利厚生がある限り私は感情を持つことが許されない。

私は福利厚生の下僕なのだ。

家賃を、払いたくないのだ。

ましてや、通勤費なんて、決して、払いたくないのだ。

福利厚生にすべてを任せたいのだ。

私は福利厚生の為に人生を失い、福利厚生のための人生を歩むことを選んだ。

人によっては敗者に見えるだろう。あざけるがいい、笑うがいい、憐れむがいい。

だが私は圧倒的な福利厚生に庇護されている存在なのだ。

私はこの福利厚生がある限り、この世のありとあらゆる不都合に背を向けてやる。

私は、今日も2リットルのハイボールを、明日も自我がないままでありますようにと祈りながら胃に流しこむのだ。