ぼくは歯が全体的にもろい。
子供のころ歯医者に行ったとき
「きみ、ぜ~~~んぶ虫歯だね!あっはっは!」と医者に言われた。
何が面白かったのが知らんが、相当なやりがいを感じたのかもしれない。
なにも誇れるものがない人生だったけど、虫歯に関してだけは誰にも負けない自信と、実績がある。
そんなぼくだ。
ちなみに、前歯に関しては人生で4回くらい爆散している。
1度目は高校生のころ、せんべいを食べたら爆散した。
2度目は大学生のころ、焼き芋を食べていて、気づいたら焼き芋の中に欠けた前歯が埋もれていた。
3度目は彼女と旅行に行ったとき、ホタテに齧り付いたら爆散した。(ここらへんから、家族から危険ドラッグをしているのではないかと怪しまれている。)
4度目は先週、コンビニで買ったポテトに齧り付いたら爆散した。
だんだん、前歯が弱体化している。
神経が、死んでいるからだ。
先週のポテトで死んだ前歯を直しに歯医者に行った。
日曜だったため、行きつけの歯医者は空いていなかった
しかたなく近所の老舗の歯医者へ出向くことになった。
空間の7割を占めるキッズスペースと、名探偵コナンにミスター味っ子を全巻揃えた本棚が我が物顔で鎮座する窮屈な待合室で、問診票を書きながらその時を待つ。
名前を呼ばれ、処置室へ向かう。
この瞬間はいつも緊張する。特に、初診だと。
長年の歯医者生活でわかるのだが
初診の場合、必ず見るべき場所がある。
設備は整っているか(たまに口をゆすぐ水が冷水しか出ないイカれた歯医者がある。)
今日使う道具は何か(麻酔が置いてある場合、長期戦を覚悟する。)
そして、どの席へ案内されるかが重要だ。
どの席へ・・・なんてどこでもいっしょだろと思うだろう。
まあ、普通はそうなんだけど。
だが、僕のような虫歯界の風雲児になると、虫歯がひどすぎてほっぺの骨が溶けてしまい、VIP席に通されてしまうことがある。
VIP席は、通常の処置する席と違ってドアのある部屋へ通される。
そこには無数のドリルがある。
一個のドリルで事足りるんじゃないか?と今も疑問に思っているが、それはもう凄まじい量のドリルがあるし、普通にメスを口と関係ないところに入れられる。
あんな思いはもう、したくない。
まあ、今回は初診だし、一般席へ通された。
ちょうどよく熟れかけた歯科衛生士の女性に歯垢のクリーニングと称した、歯茎を尖った棒でチクチクされるだけの時間を耐えると、主治医がきた。
おじいちゃんだった。
まごうことなき、おじいちゃんだった。
8割がた何を言っているかわからなかった。
一抹の不安がよぎるが、我々のような歯を疎かにする社会不適合者は、何を言っているかわからない人に、口の中を蹂躙されるしかないのだ。
僕と医師のインフォームドコンセントは、互いの気持ちと裏腹にすれ違っていく。
幸いにも爆散した前歯は、かろうじてなんかしらの樹脂を充填するだけで良いレベルだった。
ほっとした。
ちょっと前歯をゴリゴリ削って、熟された女性に前歯へ樹脂を塗られていく。
処置は無事に終わった。
シュガースポットで覆いつくされた女性がぼくに一言。
「前歯、多めに盛ったんで。」
はにかみながら、そういわれた。
そんな、定食屋感覚で…。
白米と同じテンションで前歯を盛られたことは、長い歯医者生活でも初めてだったので、面食らった。
僕が学生に見えたからだろうか?
「お金ないだろうから、たらふく樹脂を持ってあげようかしらね。」
そんな粋な計らいを、見せてくれたのだろうか。
旬を過ぎた女性は、ニッコリと笑っている。
ああ、サービスなのか…。
腑には落ちなかったが、好意なら、いいだろう。
会計と、次の診察日を済ませ、歯医者を後にした。
8月を終えたばっかりだというのに、空はずっと高く、すじ雲が放射線状に走っていた。
秋を追いかける木枯らしが自転車を漕ぐ僕の顔に吹き付ける。
神経を失ったはずの僕の前歯が、ほんの少し疼いたような気がした。