あれは小学校時代。
わたしにはたった一人しか友達がいなかった。
というか、いまでもほとんどいない。
わたしは小学校の時たった一人の友達とエロ本を探す旅に出ていた。
古紙回収の日がメインだった。
風俗情報誌、水着のカタログ、週刊ポスト・・・。
女の裸が出ているものだったらなんでもよかった。当時の私たちにとってはそれらは宝物であり、神様がくれたたった一つのギフトだった。
それも小学校4年生までだった
いつしか、古紙回収とエロ本が出ているマンションをすっかり覚えきった私たちはもはや紙面では満足できなくなっていた。
満足できなかった私たちが行きつく先、そう「ビデオ」だった
当時はまだVHS が生きていた。かろうじて息はあった。DVDに移行する時代だからこそ、VHSは捨てられていたことが多かった。
そして私の友人は神器を持っていた。「テレビデオ」だ。
テレビと一体型のVHSを再生できる装置が、彼の家にはあったのだ。
私と彼で、学区内の森へ宝探しに出かけた。
森には整備された道が用意されていたが、そういった道にはVHSが落ちていないことをエロ本ソルジャーであった私たちは本能で感じていた。
野性の勘を頼りに森をかき分けていった。
途中にある大きな崖を下り、木に登り、位置を確認したり、湖の中に浮いている黒い物体があれば命綱をつけてとりに行った(フライパンだった。)
あくる日もあくる日も擦り傷を作りながらも森を開拓していった。
ゴールドラッシュ時代の英雄たちのような勇ましさだった。
そして、見つけた。黒いダイヤ「VHS」を。
中に表記されていた文字は今でも忘れない「4時間オムニバス美熟女ナンパin町田」
その時に得た感情はただの喜びだけではなかった。
もちろん喜びもある。友人と初めてハイタッチをしたのもこの時だった。
喜び、達成感、優越感、そしてこの宝探しの日々を終えてしまう事への寂寥感を、幼いながらも感じていた。
友人の家に行った私たちは物をズボンとパンツの中にねじ込み、彼の部屋まで一直線に入っていった。
友人の家に入って「おじゃまします」と言わなかったのはこの時が初めてだった。
心苦しいが、男には譲れないこともある。
二人とも無言で、テレビデオという名の神器へとVHSを押し込んだ。
4時間、これからものすごい事が起きる。期待と、ほんの少しの恐怖を感じた。
まあ、オチはお察しの通りだった。VHSは映らなかった。
それどころかVHSに入り込んだ土を噛んで、友人のテレビデオも死んだ。
何ともさみしい友人の背中を見た。心なしか老けたような気もした。
友人は振り返って、とても小学生とは思えない悟ったような笑みをしてつぶやいた
「明日からも、がんばろうな。」
わたしは、夕暮れの赤色と友人の白い肌着、複雑な感情をはらんだその一言をただただ「美しい」と感じた・・・・。